日頃外国人をガイドしていると”FUKUSHIMA”について尋ねられることがあります。
しかし、日本人でも福島県の浜通り(沿岸部)に足を運ばれている方は少ないのが実情です。
また、現地に訪れたとしても人の捉え方は様々です。
この度、ガイドとして活躍される方々に福島に足を運んでいただき、現地の様子をレポートいただきました。
複数の方の目線を知ることで、多面的に「FUKUSHIMAの今」を感じていただければと思います。
シリーズ第8回目の更新です。
(シリーズはこちらから)
=====
筆者紹介:Y.F.
岐阜県出身。2017年全国通訳案内士免許取得。旅行関係・通訳の経験を生かして地域と地域、人と人を結ぶ架け橋になりたいと日々奮闘中。福島の友人も多く、ガイディング中にお客様から東日本大震災や福島の影響について聞かれることがあり、自分の目でリアルな福島の今を伝えたいと思い、ツアーに参加。このツアーは個人的にもまた参加したいし、もっと多くの日本人や世界中の人に参加してほしいと願う。もっとも力を入れている食べ歩きや酒蔵巡りツアー、国際唎酒師の資格を生かして、福島の美味しい物、郷土品、蔵元さんと世界を繋げたい。
=====
東京駅で集合したすぐ、ガイガーカウンターという簡易線量計が一人一人に配布された。ツアー中、参加者の目でその場所の線量や積算量を確認することができるという。線量計のミリシーベルト等単位について学び、人は生きてる限り、飛行機に乗ってもCTやX線検査でも放射線を浴びていると知った。目に見えないからこそ、正しい知識を持たないと差別や風評被害に繋がる。今回の2日間のツアーの積算量も日本や世界標準の自然被曝と比べても問題ない数値であり、その安心を自分で証明できた。
数ある産業の中で観光業が最も早く地方を活性化させ、直接・間接的に職を生み出し、地域を元気にさせると私は信じている。それには何度も足を運んでもらえるよう、観光客、地域の人々双方にとってメリットになるような持続可能な観光であるべきだと思う。このツアーは現地を訪問し、福島の今をみると同時に、過去からの教訓を自分に置換え学べ、各地域で色々な立場の方から直接お話を聞く事ができる。ダークツーリズムではあるが、国の闇から光、福島の未来と希望を何度も感じた。観光客が訪問する事によって交流が生まれ、郷土品や名物を直接購入したり、お勧めや地域の文化について聞く事ができ、地域文化の伝承や復活に貢献でき、現地の方に寄り添うことができるツアーであると思う。
もう一つ、現地を訪問することの意義として、観光客が現地を尋ねる事により東日本大震災や津波の記憶の風化防止になると考える。原発事故から9年が経過し、震災に対する意識や関心が薄れ、震災や福島に関する関心が低くなり、記憶の風化を日本国内でも感じる。私も福島県の浜通り(沿岸部)は、2011年の津波や原発事故の映像で見た記憶のまま止まっていた。現地が今どうなっているか、想像もできなかった。今回の訪問で、現在もNo-Go Zone(帰宅困難地域)になっている大熊町を車で通過し、そして富岡町では、帰還できる場所、間もなく避難命令解除地域になる場所を徒歩で語り部さんと歩いた。バリゲードで閉ざされ、許可車両しか入れない。破損した家屋、人の住んでいない、時が止まったようなゴーストタウンを目にし、衝撃だった。富岡町の塾の張り紙は2011年の3月のままであったし、浪江町の駅前の居酒屋は、おしぼりや食事が提供されたテーブルのまま残されてあった。着の身着のまま避難したのであろう。語り部さんが2、3日ですぐに帰れると思った。原発事故がどういうふうに恐ろしいのかわかっていなかった。広島の原爆と同じと思っていた。何かあったら一瞬かと思っていたが、原発事故の後、終わらない続きあったと語られたとき、絶対に記憶を風化させてはいけないと改めて思った。彼らの怒りや悲しみをどこにぶつけていいのか、誰だって愛する故郷で住みたい。家族、ご近所、友人や親戚の近くで暮らしたい。大切な思い出、この町の存在を観光客が訪問する事によって、記憶を共有し、現在、除染を行っていて帰還できない地域や解除されているがこれから帰ってくる方のUターンの後押しになればよいと思う。人が行き来をしないと益々ゴーストタウンになってしまう。
ツアーで印象的だったのは、震災後、県外から移住された若者たちに出会った事だ。楢葉町のならはCANvasという町の交流施設の職員は学生時代休学してこちらに移住したそうだ。彼らはこの町の人々のいつでも前を向く姿勢に惹かれたのだという。それは誰よりも故郷を愛し、人を想う町民の少しでも力になりたいと彼らの心を動かしたのであろう。この施設は、世代を超え町民ひとりひとりの希望をもとに作られた特別な大切な憩いの場所だと感じた。現在、楢葉町の帰還者はおよそ57%だという。町は人口を増やす事に力を入れるより、今いる人に住みやすい場所をつくることが大切であり、それが帰ってくる人を増やす事に繋がるのではないかと考えているそうだ。1日目ツアーの終了後に、ホテル近くの小料理屋を経営する関東からの若い女性移住者にも話を聞くことができた。今の生活の方が友人やお客様もいるので寂しくないそうだ。何より移住者たちのキラキラした目の輝きに福島という土地の魅力を感じた。地酒や郷土料理を提供し、地元と移住者、そして除染作業員たちの憩いの場となっていた。また、彼らに会いにいきたい。
最後に、今年は東京オリンピックの年だ。私たちが今回宿泊したJ-villageが聖火リレーのスタートになる。浪江町で出会った笑顔の素敵なUターンの花き農家の方もオリンピックのビクトリーブーケに使用される予定のトルコキキョウを大切に育てているという。私もテレビで彼の花を見るのが今からとても楽しみだ。2020年3月には常磐線も全線開通する。今度は電車でも訪ねてみたいと思う。そして、今後は通訳ガイド、ビジネスパートナー、観光客として私が何ができるか引き続き考えていこうと思う。今回のツアーで多くの方と出会い、交流ができた。今後も何度も足を運び、現地の人々に寄り添っていきたい。
コメント