私が見た福島沿岸部の今 Vol.12

福島の今

日頃外国人をガイドしていると”FUKUSHIMA”について尋ねられることがあります。
しかし、日本人でも福島県の浜通り(沿岸部)に足を運ばれている方は少ないのが実情です。
また、現地に訪れたとしても人の捉え方は様々です。

この度、ガイドとして活躍される方々に福島に足を運んでいただき、現地の様子をレポートいただきました。
複数の方の目線を知ることで、多面的に「FUKUSHIMAの今」を感じていただければと思います。

シリーズ第12回目の更新です。
(シリーズはこちらから)

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筆者紹介:

倉品好伸

2018年より英語通訳案内士として、主に欧米のお客様に、歴史、伝統、食を含めた文化の紹介を通じて、日本を案内している。

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今回の2日間のツアーは参加者10名、1月15日の朝バスで丸の内北口からスタートし福島に向かった。参加者全員にはツアー中の総被爆量を測定するためにガイガーカウンターが手渡され、やや緊張を感じた。
昼前に最初の訪問先の東京電力廃炉資料館に到着した。
そこで事故当時の状況のビデオを見た後、現在の廃炉に向けての作業状況についての展示を見学した。完全に廃炉するには膨大な時間がかかることを理解した。
東京電力廃炉資料館横に新設された富岡町さくらモールでランチを取った。
この富岡町はまだ町の15%が帰還困難区域に指定されていて、多くの住民は廃炉や除染作業の従事者であり、そのためフードコートの利用者は男性がほとんどであった。居酒屋などの、飲食店がまだオープンされていないそうで、施設内のスーパーでは単身男性向けの酒売り場の占める割合が多いことに驚いた。

隣の大熊町の帰還困難区域内にある中間貯蔵工事情報センターを訪問。
施設周辺の放射線レベルは、除染により低く抑えられており、見学者はセンターの立ち入りが可能となっている。2021年までには、県内各地の仮置場に保管されている汚染土壌は、中間貯蔵施設に搬入される予定。センターでは中間貯蔵施設の概要や運営管理の状況が理解できた。
富岡町に戻り帰還した町民のガイドによる案内を受けた。2017年4月に町の大部分は避難指示が解除されたが、帰還困難区域はバリケードで分断され、荒れ果てたままの街並みが残っている。「まだ町民の多くは戻って来ていない。地震の後すぐに原発事故による避難命令が出され取るものもとりあえず避難したが、これほど長く続くとは思わなかった。
町の家屋は地震ではほとんど被害を受けておらず、放射線がなければすぐにでも通常の生活に戻れていたはずなのに・・・」とのガイドの言葉が印象に残った。

2015年に全町地域の帰還が解除された楢葉町では、コミュニティー施設の「ならはCANVAS」を訪問した。この施設は戻って来た住民の意見を反映して建設され、お年寄りや子供連れの若い家族などにも活用されているとのこと。案内してくれた担当者は群馬県で働いていたが、震災後同地区をボランティアとして訪れ、住民との繋がりを意気に感じ地域の復興に貢献したいとの思いで移住を決めたとのこと。新しい住民と、戻って来た住民との共存が感じられた。

サッカーの聖地として知られている楢葉町のJビレッジは、原発事故直後は作業員の基地
として利用されていた。今は、グランドや宿泊施設など一般利用が再開されており、この日はここに宿泊した。夕食後には地域で唯一開業している近くの小料理屋を訪ねた。女将は千葉県から建築士として当地に来たが、別の形で地域を盛り上げるためにこの店を始めたとのこと。ここにも新住民の活躍を見た。
東京オリンピックの聖火リレーは、復興のシンボルとしてJヴィレッジから出発することになっている。

最後に訪問した浪江町では、全校生徒が無事津波から逃げることができた請戸地区の小学校跡地訪問し、打ち捨てられた建物が多い浪江町の駅前を歩いた。浪江駅だけは、今年の3月の常磐線全線開通に向けた準備が進められていた。2年前に避難解除されてはいるが、震災前の2万人超の居住者数はまだ千人未満にとどまっている。

浪江町の除染された農地では、花卉栽培が始められていた。避難先から戻って、トルコキキョウを栽培している荒川さんに話を聞いた。「花作りは風評被害を受けやすい食べ物に比べて希望が持てる、田舎の長男なので、皆が戻れる場所を町に確保したい。福島のトルコキキョウは東京オリンピックのビクトリーブーケに使われる予定なので、それに採用されることを願って頑張っている」
彼のほかにも花作りを始めた人は数人いるという。花作りを通して浪江町の未来を創って行こうという、農家の方々の前向きな気持ちが感じ取れ、福島のトルコキキョウを応援したいと思った。

1泊2日の視察を終え、東京駅に帰り着いてガイガーカウンターの積算被爆量を確認してみると、0.004ミリシーベルトを示しており、航空機による東京-NY往復の値0.1ミリシーベルトを大きく下回っていて安心した。
福島では原発は停止しているが、まだ火力発電所は稼働しており東京電力の電気の3割は福島県に依存しているということを、今回のツアーで初めて知った。被災地福島が、今もなお東京電力管内の電気供給に大きく貢献してくれていることに、深い感謝の気持ちが湧いてきた。
通訳案内士として欧米のお客様を福島に案内し、微力ながらも復興に貢献できたらと考えている。

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