初めに
2022年3月11日、東日本大震災から11年を迎えました。
筆者は福島県出身ですが、被害の大きかった沿岸部を訪れたことはありませんでした。
同じ福島県民といっても、受けた被害があまりにも違うため、町民ではない自分が行っては冷やかしだと思われ、町民のみなさんの気分を害すのではないかという不安があったためです。
しかし、こうしてメディアで発信する立場に立ったとき、被災地を訪れたことがなくては被災地の現状を正確に伝えることは出来ないと思い、2022年3月、福島県沿岸部の今を自分の目で見てきました。
【この記事を書いているのは…】
エダ アサヒ
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福島県中通り出身。好きな福島フードは、とら食堂のチャーシュー麵と木乃幡の凍天。
双葉駅
常磐線に乗り、まず双葉駅へ。震災以降、常磐線は富岡駅から浪江駅の間で不通となっていましたが、2021年3月に全線開通しました。向かう途中の電車からは、綺麗な海が見えます。
双葉駅のすぐ近くの双葉駅西側地区では、10月からの入居開始に向けて公営住宅及び分譲地の整備が行われていました。
11年半という長い時を経て、双葉町に住民が帰ってきます。
改札に向かって驚いたのは、Suicaに対応していることです。
首都圏在住の方からすれば当たり前のことかもしれませんが、福島県内でSuicaに対応している駅はまだまだ少ないのです。
ただ、浪江駅から南は首都圏エリアに含まれるため、違うエリアから行く場合は下車する際に精算ができない可能性があり、注意が必要です。
FUTABA Art District
双葉駅の階段を降りると、まず大きな壁画が目に入ります。
これは双葉町をアートでいっぱいにする取り組み「FUTABA Art District」として、OVER ALLsが手がけた壁画です。
双葉町ゆかりの人やものが描かれたアートが点在しており、駅前の薬局の跡地に描かれている赤毛の女性は、地元の人に愛されていたファストフード店「ペンギン」の元オーナー、吉田さんをモデルにしています。
「FUTABA Art District」では、現在8つの壁画を見ることができます。
壁画が描かれた建物には取り壊しが決まっているものもありますので、ご興味のある方はぜひお早めに現地でご覧ください。
ステーションプラザふたば
双葉駅の隣に建つオレンジ色の建物は旧駅舎で、現在は「ステーションプラザふたば」というコミュニティーセンターとして利用されています。
ここで震災から今までの復興状況やシャトルバスの運航状況を知ることができ、また、顔出しパネルや双葉町を訪れた人が残したメッセージなどがあります。少しメッセージを拝見しましたが、遠くからいらっしゃった方も多く、応援のメッセージに目頭が熱くなりました。
双葉町産業交流センター
双葉駅からシャトルバスに乗り、約5分ほどで伝承館・産業交流センター前に到着します。
海のすぐそばの伝承館・産業交流センターに近づくにつれ、駅前に多かった建物は減り、更地が広がっていきました。
よく福島第一原発事故はチェルノブイリ原発事故と比較をされます。しかし、チェルノブイリ原子力発電所があったプリピャチは稼働するため建造されましたが、福島第一原発はもともと人が生活していた町に建設されたので、そこには代々先祖から受け継がれた土地や伝統、文化があります。
震災後も、町の人々は故郷を離れても伝統を守り続けています。原発事故後、プリピャチは廃墟となっていますが、福島第一原発周辺の町では、また住民が帰ってこれるように復興が進められています。
そして、この伝承館・産業交流センターがあるエリアは、双葉町中野地区復興産業拠点となっています。今はまだ更地が広がっていますが、働く拠点として企業誘致が行われており、受け入れに向けて整備が進んでいます。
双葉町産業交流センターには、お土産コーナーやレストラン、会議室などがあります。
この日のお昼ごはんに、1階のフードコートにある「せんだん亭」で2013年B-1グランプリで優勝した「なみえ焼きそば」をいただきました。なみえ焼きそばは、通常の3倍の極太麺に具材は豚バラ肉ともやしのみで、濃厚ソースで味つけされています。
お土産コーナーには、双葉町のふたばだるまやお酒だけでなく、喜多方ラーメンなど福島県のお土産もあります。可愛いだるまとあかべこガチャもあるのでぜひチェックしてみてください。
屋上展望からは、青く綺麗な太平洋を見ることができます。
しかし、海を見て産業交流センターから右側には中間貯蔵施設、左側には福島県初の震災遺構に認定された請戸小学校が見え、当時の被害と人の悲しみ、今も続く復興作業を考えると、美しい海に対して複雑な気持ちになりました。
また、センター内には双葉町津波ハザードマップがあり、避難時の心得や取るべき行動が分かりやすく書かれています。
東日本大震災・原子力災害伝承館
東日本大震災・原子力災害伝承館では、災害について、原発事故直後の対応、復興への挑戦など当時の状況だけでなく、これからの沿岸部についての展示を見ることができます。
また、この伝承館は、東日本大震災及び原子力災害によって失われた浜通り地域等の産業を回復するために、新たな産業基盤の構築を目指す国家プロジェクト「福島イノベーション・コースト構想」に含まれています。
写真展示コーナーでは、大きく印刷された写真がいくつも展示されています。
仮設住宅で楽しそうに遊んでいる子どもの写真もあれば、亡くなった子どもに買った靴や、家族を失い泣き崩れている男性の写真もあり、被災した人それぞれの状況と、さまざまな感情が伝わって来ました。
語り部さんによる講話も聞くことができます。
筆者が訪れた日の語り部さんは、震災当時は東京に住んでいたものの、土木関係の仕事をしており、何か出来ることがあるのではないかと、相馬市などでボランティア活動を始めたということでした。
特に話を聞いて印象に残ったのは、「福島で事故は起きたが福島県は東北電力で、事故が起きたのは東京電力の原子力発電所。電気は福島で使われていたのではなく、関東に送られていた。だから、この事故や廃炉作業について首都圏の人にも考えてほしい。」という言葉です。
事故から11年経っても、廃炉作業が完了するまであと何十年とかかります。まだまだ課題が山積みですが、その問題を福島だけのものととらえず、主体的に考えてくれる人が増えればうれしいです。
請戸小学校
請戸小学校は津波の被害を大きく受け、福島県初の震災遺構に認定された場所です。
海から300m離れた場所に位置していますが、津波発生時には大平山へすぐ避難したことによって、学校に登校していた生徒は全員無事でした。
震災遺構として整備された校舎内を見学することができ、もともと何があったかという説明文とともに、津波被害を受ける前に撮影された、生徒が授業を受けている様子の写真も展示されており、津波被害の前後を比較することができます。
本当に同じ場所なのか疑うほどの校舎の変化に、津波の恐ろしさを再認識しました。大きな地震の後で恐怖の中、津波から避難するのは小学生にとってどれほど怖かったかと考えました。
海からたった300mの距離で全員無事だったのは奇跡のようで、迅速な対応で被害は抑えられることを実感しました。
また、校舎2階の教室の黒板には、災害救助にあたった自衛隊や震災後に小学校を訪れた方からのメッセージが書かれていて、みんなでこの災害から乗り越えようと一致団結している様子が伝わりました。
普段の生活で災害についてなかなか考えることはありませんが、いつくるか分からない災害について、改めて考える機会を与えてくれます。
道の駅なみえ
最後に訪れたのは、道の駅なみえです。
人々のランドマーク、浪江町の復興のシンボルとして2020年8月にオープンしました。
道の駅として、新鮮な野菜や海産物、土産物などを扱う直売所、レストラン、観光情報発信コーナーがあるのはもちろん、道の駅に初出店した無印良品や、陶芸と試飲体験ができる場所、ポケモンのラッキー公園などがあります。
道の駅なみえでしか買えないお土産もあるため、浪江町に訪れた際のお土産は、ぜひ道の駅なみえでチェックしてみてください。
終わりに
東日本大震災から11年経ちましたが、福島沿岸部はまだまだ復興の途中です。
被災地と聞くと、悲しいことが起こった場所という印象が強いですが、復興も少しずつ進み、未来への希望が見えてくる場所でもあります。
また、福島沿岸部を訪れることは、震災が発生した当時、今、未来について理解を深めるだけでなく、福島や自分の属する地域や社会の将来のことなども考える機会になるでしょう。
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