私が見た福島沿岸部の今 Vol.1

福島の今

日頃外国人をガイドしていると”FUKUSHIMA”について尋ねられることがあります。
しかし、日本人でも福島県の浜通り(沿岸部)に足を運ばれている方は少ないのが実情です。
また、現地に訪れたとしても人の捉え方は様々です。

この度、ガイドとして活躍される方々に福島に足を運んでいただき、現地の様子をレポートいただきました。
複数の方の目線を知ることで、多面的に「FUKUSHIMAの今」を感じていただければと思います。

シリーズとして、何回かにわたって更新をしていきますのでご覧ください。
では、第1回目をご覧ください。

=====

筆者紹介:Y.K

早稲田大学卒業後、大手都市銀行勤務を経て、通訳案内士として活躍中。

=====

私は全国通訳案内士(英語)で、普段は東京・近郊のガイドをしています。
2018年秋冬に「通訳案内士向けの福島沿岸部訪問ツアー(日帰り)」のご案内をいただき、以前より関心があったので参加しました。

それがご縁で、外国人向け「福島沿岸部訪問ツアー」を引率して、時折現地を訪れています。
この度、通訳案内士向け一泊二日の同ツアーに参加し、日帰りでは行かない資料館なども訪れました。

 

福島県沿岸部(いわき以北)に震災後に初めて立ち入ったのは、秋冬のツアーに参加した時でした。

目的地に向かうマイクロバスの車窓から、
除染作業を行っている様子や除去土壌の仮置き場、輸送トラックの車列などが見えました。

どんなことが行われているか、安全性がどのように確保されているか等の解説をうけながら、
想像すらしなかった規模とスピードで、除染が行われていることを目の当たりにしました。

 

浪江町中心部の商店街はかつてにぎやかだったそうですが、
この一年弱で全半壊家屋の解体工事が進み、空き地がますます目立つように感じます。

また、空き店舗等の陳列棚、商品、食器が散乱しているのがウインドー越しに見えました。

また、当地は第一原発から約10km圏内であり、
震災翌日に避難指示が出され、除染を経て2017年春に解除されました。

私たちは、貸与された線量計でこまめに計測しましたが、
線量が東京と同じと気づき、意外に思いました。

除染で線量が低下したことに伴い、避難指示が解除されたのですから、
当地の線量が低いのは当然と言えば当然なのですが。

 

海岸沿いの請戸集落は、15mの津波に襲われ、大きな被害を受けました。
秋冬には建設途中だった堤防は完成し、
その階段を上ると目の前に太平洋、そして6キロ南の第一原発の遠景が見えます。

当時の写真を見ながら、ここで何があったのか振り返りました。
海岸からほど近い請戸小学校では、在校児童・教員が高台に避難し、全員が無事だったエピソードに耳を傾けました。

 

現地の方々のお話をうかがう機会もありました。
当時の経験、ご自身の思いを直接聞くことは貴重な機会でした。

「震災から8年経って、東京の人たちは震災を既に終わったものと思っているのではないか」という言葉には、返す言葉が見つかりませんでした。

浪江町に帰還して花卉農業を営む方々のお話も興味深いものでした。
もともと花卉が専門ではなかった方々が、試行錯誤しながら、時には先行者が同業者にノウハウを伝授し、
より高い品質の花の生産に挑み、実際に東京大田市場で高値がつき、表彰される程の実績をあげる農場もあるとのお話しでした。

若い研修生が参加していることにも、当地の方の希望を感じました。

 

ガイドとして時折現地を訪れていますが、
訪れるたびに、様子が変わっていることに気づきます。

例えば、帰還困難区域を通過する際に、車窓越しに見える景色です。

人の気配が感じられず、時が止まったような無言の圧迫感を感じる風景が広がっていますが、
いくつかの場所で除染作業が進んでいることに気が付きました。

他にも、除去土壌仮置き場がいくつも撤去されて、更地になったこと、道路の拡張工事が完了したこと、浪江町に震災後初のスーパーが開店したこと、などなど。

「福島沿岸部の今」を、ご自身の目と耳で感じられてはいかがでしょうか。

コメント

タイトルとURLをコピーしました